Australia-Japan Research Project

オーストラリア戦争記念館の豪日研究プロジェクト
戦争の人間像
戦後のラバウル

1945年8月15日、天皇の玉音放送によって戦争の終結が告げられた時、オーストラリア北方の地域には35万人を超す日本兵が駐留していた。戦後、オーストラリア軍はこれら日本兵の降伏を受理する任務を受け持った。オーストラリア軍はボルネオ・蘭領東インド諸島・ニューギニア・ニューブリテン・ソロモン諸島・オーシャン島・ナウルの各日本軍に接触し、降伏調印式、武装解除、復員の手配を整えた。

最も日本兵が集中していた地域はニューブリテン島のラバウルである。オーストラリア軍は日本兵の数を低く見積もっていたため、10万人を超えるラバウル地区の陸海軍兵士・軍属を養い、統治するため、戦時に行われていた日本軍の自給自足の活動を維持し、既存の命令系統を利用しなければならなかった。それにもかかわらず、終戦直後、病気と栄養不良によって数千人の日本兵が亡くなった。また、九〇〇人を超すこの地域の日本兵に戦犯の嫌疑がかけられ、裁判が行われた。大半の戦犯は、有史以来の敗北と外国軍の占領によって打ちひしがれた故国への帰還を待ちわびなければならなかった。


Printed on 05/03/2024 03:12:05 PM